Junk Lane

事件、事故、オカルトなど…。情報量多めにしているので、事件や事故の情報も全部が全部真実とは限りません。

 

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【事故】吾妻連峰遭難事故 

1994年2月13日早朝から翌日にかけて吾妻連峰が猛吹雪に見舞われ、
登山者7名が遭難し、5名が低体温症で死亡した。
吾妻連峰での山岳遭難事故としては最悪の事故となった。

<パーティー>
40代から60代の男性2人と女性5人。

リーダーの坂根正一さん(68)は登山歴30年で山岳ガイド資格もある新聞社勤務の男性。
吾妻連峰は13回目の登山で、同じルートを以前に経験していた。

サブリーダー的存在の男性、平岡實さん(38)も、
登山歴こそリーダー坂根さんより少ないものの、吾妻連峰へは何度か来ている。

松井節子さん(46)、平柳直子さん(43)、松本政子さん(54)、
栗原一恵さん(41)、尾島京子さん(年齢不明)の女性5人も
山は一通り経験済み。


<計画>
2月11日~13日の三連休を利用しての山スキーでの吾妻連峰縦走。
11日は家形山避難小屋に1泊し、
12日に尾根筋を北に辿り滑川温泉に到着するルート。








<2月11日>
・7時16分
上野発東北新幹線青葉に乗車。
予定ではやまびこに乗り30分早い福島入りであったが、空席が無く断念。

・9時19分
福島駅到着。
駅でタクシーに乗ろうとするが、タクシーにはスキー板を積むキャリアが無かったため、
案内所でマイクロバスをチャーター。
マイクロバスの手配に30分を要する。

パーティーはバスの運転手にできるだけ登山口の近くまで行って欲しいと言うが、
バスの運転手が、道路が凍結していて登山口までたどり着けない可能性があるため
吾妻高湯スキー場のリフト乗り場を提案する。
しかし坂根さんは行ける所まで行って欲しいと言う。

結局リフト乗り場より1kmほど登った地点で道路凍結のため進めなくなり、バスを降りる。
相談の結果、運転手の勧めたリフト乗り場まで凍った坂道を徒歩で下ることに決定。

スキー場では4本のリフトを乗り継いでいくが、
強風の為、2本目と4本目のリフトは動いておらず、
しかたなくリフトを傍に見ながら急な雪道を1km以上多く登ることに。
上っている途中に風が止み、4本目のリフトが動き出した。

スキー場からの登山計画書の提出は4本目のリフト乗り場で受け付けていた為、
パーティーはそれに気づかず、登山計画書を出さずに山に入った。

・13時
登山口着。予定より2時間の遅れ。

・15時
宿泊予定の家形山避難小屋の手前(徒歩約30分)にある
慶応吾妻山荘入口(山荘まで340m)に先頭メンバー到着。
予定外の行動が重なり、疲れて大分遅れるメンバーもおり、
「疲れている人がいるなら予定を変更して慶応吾妻山荘に泊ろうか」
というやりとりがあったが、
遅れていた人が大丈夫と応えたため、家形山避難小屋を目指す。

・16時
家形山避難小屋到着。
他に宿泊客のいない、避難小屋での宴会がはじまる。
避難小屋備え付けのスコップで焼くステーキがメインメニュー。

・22時
宴会を終了し就寝。

中国大陸からの雨雲を伴った強い低気圧が接近しており、
天候が崩れる予報が出ていたが、
パーティーはラジオを持参しておらず、天気予報を聞く事はなかった。

慶応山荘の管理人は、
気象予報から、宿泊客3グループに明日は下山するか行動を早めるよう進言。
2組が下山、1組が早朝出発を決めていた。


<2月12日>
東京は朝から25年ぶりの大雪。

・8時15分
家形山避難小屋から出る。
小雪がちらつく程度で、晴れ間ものぞくほぼ無風の好天。
これは気圧配置の偶然による一時的好天(いわゆる擬似好天)である。

・8時35分
出発。
天気が悪ければ帰ろうと考えていたが、疑似好天により不安無く出発した。
目的地の滑川温泉までは、冬山以外では1時間ほどのルートである。

・12時
白浜尾根に到着。予定より2時間以上の遅れ。
天候が崩れ始める。

2km先の霧の平を目指す。

白浜通過後、
メンバー数名のスキー板のクライミングスキン(滑り止め用シール)が剥がれ、
それを粘着テープで固定し直す処置などにも時間を取られ、足止めを食う。

霧の平分岐点の杭が発見できず、白浜尾根と霧の平の間を彷徨う。

リーダーの坂根さんは過去に少なくとも2回はこの分岐点の杭を確認しており、
パーティーは杭が雪に埋もれてしまったのではないかと思っていたが、
後の調査では杭は雪で埋もれてはおらず、
悪天候や疲労により距離感が狂い見つけられなかったのではとされている。

白浜から霧の平まで1時間の予定であったが、6時間以上彷徨う。

・18時
霧の平を見つけられないまま暗くなり、ビバークを決定。
雪のくぼみに銀マットを敷き、ビバーク。
この時点ではまだ余裕があり、
メンバーはビバークしたことを家族や友人に内緒にしようと冗談まじりに話していた。

天候は急激に悪化。
強い冬型の配置となり大陸からの寒気が流れ込む。
夜はマイナス10度以下まで冷え込む。


<2月13日>
猛吹雪。
この日日本中で30人が一時的行方不明となった。

その場に留まるか、前日宿泊した家形山避難小屋まで引き返すか相談し、
翌日の出勤を考え家形山避難小屋まで引き返すことにする。

・7時
出発。

・8時
白浜の尾根に差し掛かる。
西風が強く前進できず、風を避けられる所まで一度引き返し、
尾根筋を避けて、比較的風の弱い東側の斜面に回り込む。
しかしそこは雪が深く、
男性2人が交代して1時間以上ラッセルしてもほとんど進めない。

再び尾根に戻り、スキーを外して手に持ち、這って進む。

6人が尾根を通過したが、女性1人が止まっており、
平岡さんが救出に向かい、ザックを受け取り、尾根を渡る。
しかし空身でも移動できずにいるため再度平岡さんが救出に向かうが、意識を失う。
倒れた一人をシュラフ(寝袋)に入れて全員で引っ張るが、
2時間以上かけても70mほどしか動かせず。

尾根を渡り切れないままパーティー全員がその場に留まり、
コッヘル(食器)などで雪洞を掘ることに。
そんな中、17時頃までに二人の意識が薄れていった。

・22時
3つの雪洞を掘り終える。
リーダーの坂根さんが変調をきたし、目が見えなくなり、
雪洞の1つを崩してしまう。
平岡さんが4つ目の雪堂を掘った。


<2月14日>
強い西風が吹き続く。

・8時
1つの雪洞に入っていた3人(平岡さん、平柳さん、尾島さん)が雪洞から顔を出すが
他の2つの雪洞に入っていた4人に意識はなかった。

3人での下山を決意するが、
尾島さんが「自分は動けないので2人で下りてくれ」と言うため、
平岡さんと平柳さんで9時に白浜を離れ、尾根すじをあきらめ、滑川温泉を目指す。
雪崩の危険がある西側を下りていくが力尽き、ビバークする。

一方東京にいる坂根さんの山仲間が、
13日夜に坂根さんからかかってくるはずの電話が無いことから、
覚えていた6人(尾島さん以外)の情報とともに捜索願を出す。
しかし登山ルートの詳細が特定できず、当初警察は動けず、捜索開始が遅れる。
他の登山者たちの目撃情報を元に6人の情報を割出し、夜に捜索の準備に入る。

その後、夜に尾島さんの家族が警察に捜索願を出したことから、
ようやく7人全員の身元が判明。
夜、捜索活動開始。

ラジオ福島は放送で
その場を動かないように、
また捜索隊が見つけやすいよう火を焚いて煙を出すなどするように、
一晩中呼びかけた。
しかし彼らはラジオを持っていなかった。


<2月15日>
前日とは一転して晴れ間が広がっていた。

・13時過ぎ
平岡さんと平柳さんはひどい凍傷になりながらも自力で滑川温泉に辿り着いた。

・15時過ぎ
2人の証言でヘリコプターで5人の遺体を発見・回収。



<事故の原因・背景>
様々な要素が重なり低体温症を引き起こしたことが遭難の原因とされる。

・新幹線の席が無かったこと、バスの手配、道路の凍結、リフトの停止、
 スキー板のシールが剥がれて応急措置をしたことなどによって時間をロスし、
 体力を消耗した。
・ラジオを携帯しておらず、疑似好天による天候判断のミスが発生した。
・霧の平で道迷いになったにも関わらず、
 早期に撤退する判断をせず(冬山では正午から下山をするか撤退するのが常識)、
 夜まで新しい道を探し続け、そのままビバークした。
・誰もツェルト(簡易テント)を持ってきていなかった。
・月曜日に出勤があったため、無理をして猛吹雪の中下山を強行した。
・低体温症に関する知識がなかった。
・動けなくなったメンバー1人を助けるため全員が危険な区域に留まった。
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